花や石ころとの一体感を取り戻すために


せわしない日常を送っていると、目の前の雑事にばかり気を取られてしまう、と思う。
もともとは、生きていて何かの目的を持っていたはずだと思う。
誰でもそうだったんだと思う。

でも、忙しいから、つい目の前の雑事に気を取られてしまう。
目的は? 忙しいから、それが終わったら取り組むことにする。
でも、目の前の用件が何かひとつ終わったら、どうなる? 
終わったばかりの用件に関係して、また違う用件があったことに気づいて、
またそれが終わったら、大事な目的に取り組むことにする。
それがやっと終わったら? また何か―。

そんな繰り返しの中で、やっと思った。何か忘れてないかと。
鳥の声を聴いてもただの声だとしか思わなくなっていた。
でも、ただの声ではない。鳥が生きている、生命に満ちている証だと。

鳥の声を鳥の声としか感じなくなっていた自分に、やっと気づいて愕然とする。
目と耳を開けば、周りにある花や石ころとの関係にも気がつくのだと。

「生命を感じとれる感覚が甦れば、つま先に引っかかる石ころさえ愛らしく、
乾いた地面に転がる木の葉の一枚とてぞんざいにできません」

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『セドナの夢』 87ページより引用