変化をもたらす「内なる不変」

あなたは「変化」についてどう思いますか?
変化が好きですか、それとも、嫌いですか?
変化が起きるとき、ワクワクしますか?怖いと感じますか?

人間には、安全と安心を求める本能があります。変化には常に危険が伴い、今あるものを失う可能性があるため、防衛本能として、多くの人は変化を遠ざけようとします。変化に抵抗を感じ、必要な改革に手をつけるのを躊躇するのです。

しかし、現代ほど変化が求められている時代はありません。環境汚染やテロ、紛争、貧困といった地球の現状を見ればそれは明らかでしょう。思想、行動、習慣、ライフスタイル、文化、制度。すべてにおいて深く大胆な転換がなされなくてはなりません。

大胆な変化のカギはなんでしょうか?
どうすればこれらの変革を起こすことができるのでしょうか?

それは、自分が一体誰なのかを知ることから始まります。私たちの「不変」の性質を知ることによって、変化が得られます。

私たちの行動は私たちの信念に裏打ちされたものです。その信念によって物事がどういうものか、何が可能か、どの程度の規模で可能かという私たちの考えが決定づけられます。

多くの人は今日、自分たちが世界において他の存在とは別個の単独の存在と信じていますが、この信念に疑問を持つことから、自分たちがいったい誰なのかを見つける旅が始まります。

この旅を通じて私たちは、自分たちが求め、夢見る変化だけでなく、個人として、そして人類としての私たちの「内なる不変」を見つけることができます。その不変こそが、変革に必要な勇気と力、知恵を与えてくれます。

「無常」を受け入れる

変化は自然の根本的な性質です。もし変わらないものが一つあるとすれば、すべては変わるという事実です。仙道ではこれを「無常」と言います。

私たちの苦しみは、永久的ではない物を永久的に所持したいと思う固執の感情からきます。人は、自分の人生だけは、無常の法則の例外になることを望むものです。自分が他者とは別個に存在する固有の実体という考えを捨てるのは容易ではありません。

でも、次のことを考えてみてください。次の二つの文章のどちらが事実でしょうか。

「私は生命を所有している」
「生命が私を所有している」

私たちはまるで自分の生命を所有しているかのように考え、行動しています。
しかし、考えてみてください。
生命は私たち自身が生み出したものでしょうか?
あなたの元にだれかがきて、生まれるための許可や同意を求めたでしょうか?
違いますよね。
あなたはただ、生まれたのです。
生まれた時、生命はそこにあったのです。

終わりはどうでしょうか?
生命は尽きる前に、誰かを送りこんで、あなたの許可や同意を求めるでしょうか?
いいえ、許可や同意どころか、何の知らせも、手がかりも与えてくれることなく、生命は消えます。

あなたの許可も同意もなくやってきて、知らせもなく消えてしまうものを、どうして自分のものと言えるのでしょうか?

生命はあなたが生み出したものではありません。生命があなたを生み出したのです。生命自体の視点からすれば、それはすべて単なる変化であり、「生まれる」こともなければ、「死ぬ」こともありません。

この事実を理解することが、「無常」を受け入れることであり、悟りの本当の始まりになります。

「エゴの目」から「道の目」へ

「あなたは、楽観的ですか、それとも悲観的ですか?」。もし両方だと思うなら、別の尋ね方をさせて下さい。「デフォルト・モード(規定値)はどちらでしょうか?」。

いま、家の外から聞いたことのない大きな物音がしたとします。あなたが最初に思いつくのはどのようなことでしょうか?その物音は、空からお金の入ったカバンが落ちてきた音かもしれません。しかし、普通はそのような楽天的な見方はしないでしょう。

これが脳のデフォルト・モードです。心理学では「負のバイアス」として知られています。警戒の状態であり、悲観的な予測の一種です。人間に組み込まれたこの反応は決して悪いものではなく、人類は自分たちの生存を脅かす物事(ストレス)に対して自分たちを守ることを進化の過程で学んできました。

脳がいったんストレス反応モードになると、その人の関心はいかに生き残るか、勝つか、「相手」を倒すかということに集中します。このモードにおいては、私たちは皆それぞれ、異なる存在であり、他者(自分以外の世界)は潜在的脅威です。よって、彼らを倒すためには彼らより強くならなくてはなりません。

しかし、世界中でさまざまな問題が起こっている現状を目撃している私たちは、この見方が正しく妥当なものであるかを再検討しなければなりません。

相互に敵視し、脅威である別個の存在の集まりとして世界を見る目から、全体の中で分かち難くつながった存在のネットワークとして世界を見る目への転換が必要になっています。私はこれを、エゴの目から「道」(TAO)の目への転換と呼んでいます。

全てはつながっており、別個の存在というのは幻想です。私たちはバラバラの存在ではなく、全体として進化しながら生きているのです。

変化が始まるとき

あなたは、どんな変化(CHANGE)を望んでいるのでしょうか?
体重を減らしたい。
よりよい仕事に就きたい。
キャリアを築きたい。
壊れた人間関係のよりを戻したい。
地球温暖化やテロを深刻に懸念して、それらを変えるために何かしたいと感じているかもしれません。

人が変化を求めるのは、生活や社会の現状に不満を抱いているからです。何かが間違っている、あるいは改善できるという思い。それは変化というよりも、本当の自分を発見したいということかもしれません。

私自身の変化も、そんな気持ちから始まりました。若い頃、私は自分がはみ出し者のように感じていました。「私はどうしてここにいるのか?」「どうして幸せではないのか?」「どうしてほかの人と違って自分ははみ出し者なのか?」

これらの疑問に何度も考えをめぐらせた末、韓国のある山の頂上で、長時間にわたる瞑想と武道による鍛錬、呼吸法、絶食による厳しい孤独な修練を行ったところ、答えが出ました。

自分は誰なのかという真実に目覚めたのです。自分が小さな、有限の存在ではなく、本当の自分は天地だということ。私の心は天地の心であり、私のエネルギーはこの宇宙を満たす天地のエネルギーであることが分かりました。

こうした経験から、私は、変化を生み出す本当の力は、自分自身に内在する偉大さから出てくると信じています。世界は今、強く変化を必要としており、私たちは皆、それを知っています。自分自身の偉大さに気づき、それを活かしながら生きていく時、自然の優しさに心を開き、身の回りの生きとし生けるものを慈しむ時、すべての変化(CHANGE)が始まるのです。