李承憲氏が語る「平和と呼吸」

世界各地で平和活動を展開している一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は著書『息する平和学』で、「平和と呼吸」について、次のように語っています。

<<李承憲氏著『息する平和学』(翻訳)から抜粋・要約>>

平和とは何でしょうか?当たり前すぎるような疑問ですが、実は、平和の定義ははっきりとしていません。

国ごとに、宗教ごとに、あるいは特定の集団ごとにそれぞれ望んでいる平和はあるかもしれません。しかし、人類全体が共有できる普遍的な平和の定義はまだ存在しないのではないでしょうか。

これまで、平和は主に政治や宗教の問題として扱われてきました。平和は個人が取り組むには大きすぎるテーマであり、一人一人のできることは限られていると考えられていたからです。

しかし、国家や宗教を中心とした平和や政治的・宗教的な信条に基づく平和は、不完全な平和です。国家や宗教が、平和どころか、大きな紛争の要因になってきたことは、歴史を見れば明らかです。平和を実現するためには、人類の意識が政治的な理念や宗教的な信条の限界を乗り越えなければなりません。

私たちに本当に必要なことは、自らが平和になることであり、自らが平和の存在になることです。自分の中にある無限な「平和の力」を体験せずに、他人に平和を伝えることはできません。

平和は、私たちの人生と遠くに離れた抽象的な概念ではありません。私たちの生命自体が平和であり、その象徴が呼吸です。呼吸の中には循環があり、リズムがあり、均衡があります。呼吸の循環、リズム、均衡が調和をなすことで、「生命体」という秩序をつくります。これが体と心の健康と平和をつくります。

平和とはすなわち、健康で調和のとれた生命の秩序なのです。

私たち一人一人が持っている生命体としての「健康と調和の原理」をそのまま社会全体に適用すれば、平和が訪れるはずです。

他人と調和し、つながりたいと思うことは自然な欲求です

定年退職した年配の男性が、第二の人生を生まれ変わったように過ごす例が増えています。
何十年も勤勉な企業戦士として、競争社会に身を置いてきた男性たちが、
競争とは無縁の余生を過ごそうとするケースが目立っています。
競争社会の中で人に認められることや、人を支配し管理することに追われてきた人ほど、
引退後は調和に満ちた人生を求めるようです。

実際に、調和に満ちた生活を送ることはできます。
他人と調和することの大切さを悟り、
それを実践したいと思うことは、自然な欲求です。
自然な欲求を満たせば、人は精神のバランスを得ることができます。

李承憲氏がその理由を説明しています。

「その渇望は、本能よりももっと深いところに隠されている。その欲求は、調和と愛に根をおろし、
あらゆるものと一つにつながりたいという望みである」

李承憲氏も説明していますが、
調和することの大切さを悟り、それを実践することは自然な欲求に基づいた行動なのです。
他人との調和を実践する人はこれからも増えていくでしょう。

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著  『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、
88ページより引用

私たちは調和に満ちた社会を求めています

現代社会は、競争社会でもあり、相互不信の社会と言われています。
そのことに疲れ、もっと安らいだ生活を求める人が増えています。

競争や争いを続けていては満たされないことを悟り、
私たちひとりひとりが周囲との調和を求めているなら、
これまでよりも調和に満ちた社会に変えていくこともできるはずです。

李承憲氏が、今私たちが何を悟り、何を求めているのかについて
次のように説明しています。

「この欲求は、物質的次元からではなく、私たちの魂の根源から湧き出てくるものである。
魂の深いところから湧き出るその欲望は、本能よりももっと深いところに隠されている。
その欲求は、調和と愛に根をおろし、あらゆるものと一つにつながりたいという望みである」

李承憲氏の言葉にあるように、私たちは本来、調和や愛を求めています。
協力して調和に満ちた社会をつくっていくことも可能なのです。

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著  『悟りの哲学』 ビジネス社、
2006年発行、88ページより引用