修行勉強で、体と心を磨く

原理勉強が真理についての自覚を意味するなら、「修行勉強」はそれを身につけていく過程になります。「原理を身体で体験する過程」です。

修行の「修」はもともと磨くという意味であり、「行」は行動、実行、動きを意味します。すなわち修行という言葉には「身体の動きを磨く」という意味があります。

「身体の動き」は、見る、聞く、話す、食べる、寝るといったことを含む、人間の身体を通して行われるすべての動きを指します。つまり、人間の生活それ自体が修行の場だということです。

原理を身体に植えつけるためには、意識的な努力が必要になります。持続的な訓練によって体を鍛え、揺るぎない心を根付かせていきます。自らの信念に対する自信を育てていきます。

原理勉強がマラソンをする前にマラソンの区間をあらかじめ勉強することなら、修行勉強は、実際にマラソンをすることです。どこが急な坂道でどこが平たんなところなのか、向かい風なのか追い風なのか、事前に聞いていた情報を、直接身体で体験し確認していくのです。

修行は「空」(から)になる過程でもあります。私たちは四六時中、様々なところからやってきた数十億の情報に束縛されています。これまでの経験と記憶によって刻み込まれていた情報もあれば、テレビ、本、親、先生、政治家などから入ってきた情報もあります。

あなたの意識に入って来たその情報は、あなたの細胞に深く刻み込まれ、あなたの考えと感情、習慣をコントロールします。修行では、そのような情報を取り除いていきます。情報を浄化し、本来の純粋な心の状態を回復していきます。本来の純粋な状態でこそ、生命の本質そのものを知ることができます。

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