悟りとは、心の扉が開かれていること

一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は著書『セドナの夢』で、悟りとは簡単に言えば「開かれていること」だと説明しています。

「心の扉を開いてほかの人びとと相通じれば、それが悟りだ」と李承憲氏。心の扉は、だれでも、いつでも開けることができるようになっており、扉を開ければ、光が差しこんできて、内側と外側が相通じるようになります。

心の扉を閉じてしまうと、「自分」と「他人」が分かれてしまい、怨みを他人のせいにし、自分自身のことを正確に捉えられなくなると、李承憲氏は言います。しかし、扉が開かれていれば、問題の原因を、まずは自分の中から探しはじめます。

心の扉が開かれれば、対話と妥協によって問題を解決していけます。開かれれば、自分も相手も他人ではなく一つになるからです。一つになった状態では、相手に苦痛を与えると自分も苦痛を感じるので、人をむやみに傷つけたりすることができません。

悟った人とは特別な人ではありません。開かれている人なのです。