「無常」を受け入れる

変化は自然の根本的な性質です。もし変わらないものが一つあるとすれば、すべては変わるという事実です。仙道ではこれを「無常」と言います。

私たちの苦しみは、永久的ではない物を永久的に所持したいと思う固執の感情からきます。人は、自分の人生だけは、無常の法則の例外になることを望むものです。自分が他者とは別個に存在する固有の実体という考えを捨てるのは容易ではありません。

でも、次のことを考えてみてください。次の二つの文章のどちらが事実でしょうか。

「私は生命を所有している」
「生命が私を所有している」

私たちはまるで自分の生命を所有しているかのように考え、行動しています。
しかし、考えてみてください。
生命は私たち自身が生み出したものでしょうか?
あなたの元にだれかがきて、生まれるための許可や同意を求めたでしょうか?
違いますよね。
あなたはただ、生まれたのです。
生まれた時、生命はそこにあったのです。

終わりはどうでしょうか?
生命は尽きる前に、誰かを送りこんで、あなたの許可や同意を求めるでしょうか?
いいえ、許可や同意どころか、何の知らせも、手がかりも与えてくれることなく、生命は消えます。

あなたの許可も同意もなくやってきて、知らせもなく消えてしまうものを、どうして自分のものと言えるのでしょうか?

生命はあなたが生み出したものではありません。生命があなたを生み出したのです。生命自体の視点からすれば、それはすべて単なる変化であり、「生まれる」こともなければ、「死ぬ」こともありません。

この事実を理解することが、「無常」を受け入れることであり、悟りの本当の始まりになります。

「エゴの目」から「道の目」へ

「あなたは、楽観的ですか、それとも悲観的ですか?」。もし両方だと思うなら、別の尋ね方をさせて下さい。「デフォルト・モード(規定値)はどちらでしょうか?」。

いま、家の外から聞いたことのない大きな物音がしたとします。あなたが最初に思いつくのはどのようなことでしょうか?その物音は、空からお金の入ったカバンが落ちてきた音かもしれません。しかし、普通はそのような楽天的な見方はしないでしょう。

これが脳のデフォルト・モードです。心理学では「負のバイアス」として知られています。警戒の状態であり、悲観的な予測の一種です。人間に組み込まれたこの反応は決して悪いものではなく、人類は自分たちの生存を脅かす物事(ストレス)に対して自分たちを守ることを進化の過程で学んできました。

脳がいったんストレス反応モードになると、その人の関心はいかに生き残るか、勝つか、「相手」を倒すかということに集中します。このモードにおいては、私たちは皆それぞれ、異なる存在であり、他者(自分以外の世界)は潜在的脅威です。よって、彼らを倒すためには彼らより強くならなくてはなりません。

しかし、世界中でさまざまな問題が起こっている現状を目撃している私たちは、この見方が正しく妥当なものであるかを再検討しなければなりません。

相互に敵視し、脅威である別個の存在の集まりとして世界を見る目から、全体の中で分かち難くつながった存在のネットワークとして世界を見る目への転換が必要になっています。私はこれを、エゴの目から「道」(TAO)の目への転換と呼んでいます。

全てはつながっており、別個の存在というのは幻想です。私たちはバラバラの存在ではなく、全体として進化しながら生きているのです。

速度を落として、方向を見直そう

現在の文明が幕開けて以来、人類は物質文明の発展の道を進んできました。最初は歩いていましたが、間もなく走り出しました。走者は時代に応じて変わりましたが、走る方向は変わらないまま、走り続けています。

産業と技術、文明の発展のスピードはどんどん速まり、私たちは当然のごとく列車に乗ったままです。しかしそれは、正しい方向に向かっていると確信しているからではなく、ほかに行くべき道がないように見えるからです。

だれもが不安を感じ始めています。「自分たちが乗っている列車に運転手がいないなんてことはあるだろうか」と。列車の窓から見える景色はますます荒涼としてきており、列車の速度は速くなるばかり。このままでは山に衝突するか、崖から転落するのではないかという恐れが広がっています。

列車はすぐに止まることはできません。手遅れにならないうちに、私たちはスピードを落とし、自分たちの現在の居場所と目的地を確認しなくてはなりません。

かつて老子は「方向を変えなければ、今向かっている場所で終わってしまうかもしれない」と言いました。その言葉に私は賛同します。私たちは、自分たちの優先事項を再評価し、新たな目標を掲げ、計画を立て、行動しなくてはならないのです。

変化が始まるとき

あなたは、どんな変化(CHANGE)を望んでいるのでしょうか?
体重を減らしたい。
よりよい仕事に就きたい。
キャリアを築きたい。
壊れた人間関係のよりを戻したい。
地球温暖化やテロを深刻に懸念して、それらを変えるために何かしたいと感じているかもしれません。

人が変化を求めるのは、生活や社会の現状に不満を抱いているからです。何かが間違っている、あるいは改善できるという思い。それは変化というよりも、本当の自分を発見したいということかもしれません。

私自身の変化も、そんな気持ちから始まりました。若い頃、私は自分がはみ出し者のように感じていました。「私はどうしてここにいるのか?」「どうして幸せではないのか?」「どうしてほかの人と違って自分ははみ出し者なのか?」

これらの疑問に何度も考えをめぐらせた末、韓国のある山の頂上で、長時間にわたる瞑想と武道による鍛錬、呼吸法、絶食による厳しい孤独な修練を行ったところ、答えが出ました。

自分は誰なのかという真実に目覚めたのです。自分が小さな、有限の存在ではなく、本当の自分は天地だということ。私の心は天地の心であり、私のエネルギーはこの宇宙を満たす天地のエネルギーであることが分かりました。

こうした経験から、私は、変化を生み出す本当の力は、自分自身に内在する偉大さから出てくると信じています。世界は今、強く変化を必要としており、私たちは皆、それを知っています。自分自身の偉大さに気づき、それを活かしながら生きていく時、自然の優しさに心を開き、身の回りの生きとし生けるものを慈しむ時、すべての変化(CHANGE)が始まるのです。

脳幹の力を強化して内側の創造主に出会う

現代人は学生時代に良い成績をとるために暗記ばかりの学習を強いられ、社会に出てからは周りよりも早く昇進し成功を収めるために、新しい理論と技術を次々に習得しなければなりません。このため、度を越すほどに大脳皮質を使うことになります。

また、現代の物質社会の中で物欲をかりたてられるため、大脳辺縁系も常に刺激されています。性欲と食欲、さらに安全を保障してもらおうとする欲求、人を支配しようとする欲求も、大脳辺縁系から出てきます。

こうした中、私たちの生命の根幹を支える脳幹は置き去りにされがちです。この脳幹を目覚めさせることで、大脳皮質や大脳辺縁系のバランスを取り戻し、脳の三つの領域を統合へと導くことができます。

例えば、大脳辺縁系で発生する愛に対する欲求は、脳幹によって満たすことができます。愛とは外部から受けるもの、周りの人々から受けるものだと思われがちですが、愛は外側から来るように内側からもやって来ます。脳幹がその内側の愛の泉です。脳幹は、大脳辺縁系を100パーセント満足させてもなお余るほどの無限の愛を創造する能力を持っています。

李承憲氏の脳教育の目的は、現代人の意識が置かれている大脳皮質から抜けて大脳辺縁系を通過し、脳幹にまで入ることです。そして究極的には、脳幹の力を強化して内側の創造主に出会い、魂の成長を経験するのです。

競争社会を変える「欲求」とは

現代は過酷な競争社会だと言われます。脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏も、現代社会について「勝者のみが中心に立ち、権力を持てるようにできている。競争に敗れた人は、社会の中心から追われたという敗北意識に囚われて、恐れと絶望という暗い運命を引き受けていくようになる」と指摘します。

現代人が自分を敗者と感じたとき、ことさら絶望にくれる理由は、人間としての基本的な欲求を満たせないからです。李承憲氏によれば、人間の抱える基本的な欲求とは、次の3つです。

(1)自分の安全を確保したいという欲求
(2)人に認めてもらいたいという欲求
(3)他人を自分の思い通りに動かしたいという欲求(支配欲)

現代人の感情や思考、そして人間関係はこの三つの欲求に大きく左右されやすくなっています。競争に敗れることは、これらの三つの欲求が満たされないことを意味します。

しかし、李承憲氏は「人間にはこの三つの欲求以外に、もう一つの欲求がある」といいます。その欲求こそ、私たちを一番人間らしく、また神聖な存在に導いてくれる欲求です。

その欲求とは、「あらゆるものと一つにつながりたい」という望みです。これは、調和と愛に根をおろし、物質的次元からではなく、私たちの根源から湧き出てきます。

自分が大いなる存在の一部だということを直視し、その揺るぎない安定感を体験すれば、「一つにつながりたい」という欲求が顔を出します。それは、魂の声でもあります。

競争社会を越えた真に幸せで美しい社会、調和と協同を通して価値を創造する社会は、この魂の声が出発点となります。

弘益へと導く「魂の声」

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、人間は誰でも「弘益」の精神を持っているといいます。弘益とは、世ために役立つことです。

李承憲氏によると、弘益の性質は、私たちの深いところに存在しています。人はふだん、利己心や被害者意識、自惚れ、快楽をむさぼろうとする欲望などに
覆われがちですが、もっと深いところに弘益の精神が宿っています。

だれしも「困っている人を助けたい」という思いが、何の下心も願いもなく唐突に頭のなかをかすめるときがあるでしょう。実は、これは魂の声です。魂は、いつもあなたにこのような声をかけています。しかし、この声を聞いても多くの人々は、「自分の問題で精一杯だ」と考えて無視してしまいます。

魂の声を聞くのは、難しいことではありません。今のこの瞬間にも、あなたが本当に魂の声を聞きたいのなら、いくらでも聞くことができます。外側のルールや状況ばかりに意識がとられて、それができないだけです。

でも、ほんとうに成長し、真の変化を遂げたければ、他人の目を意識したり、世間の評判に左右されたりする習慣を一掃する必要があると、李承憲氏は言います。

目を閉じて、深く自分の内面を見つめ、観察してみましょう。真我があなたにささやく声に耳を傾けましょう。すると、自分以外の人を気づかい、人がためらうような大変な仕事でも喜んで先頭に立ち、他人を寛大に見ることができるようになります。それができる人が「弘益人間」です。そして、弘益人間こそが調和した社会を創り出すのです。

「世の中に悟ることは何もない」と分かること

悟りとは何か?――
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、悟りとは「『真我』を探すこと」だと言います。

真我とは「本当の私」です。李承憲氏によると、真我は、あらゆる人々の内面にあり、本質的に美しいものです。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るようなものだといいます。

真我に出会うことは、絶対的な幸せの条件です。真我に出会うことによって得られる幸せは、「ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せ」(李承憲氏)です。

私たちの幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れます。この幸せは「絶対的」なものであり、財産の多さや、人より有名であるというような「相対的」なものではありません。

悟りを得て真我と出会うには、「選択」が必要です。自分自身をとりまくあらゆる生命体に、喜びと益をもたらす生き方を「選択」すること。それが、悟りです。

李承憲氏は自らの経験から、こうした悟りの本質に気づいたといいます。「一時誰にも劣らないほどの辛い修練をして、つまり苦行を通して悟りに至ろうとしたことがある。しかし、それは私が悟ることの本質を知らなかったときのことだ」(李承憲著『悟りの哲学』)と言います。

李承憲氏が得た真の悟りとは、「『世の中に悟ることは何もない』と分かったこと」であり、「私はすでにいつも悟りのなかにいた」と気づいたことです。

ありのままの自分を受け入れること。それが「至上の悟り」なのです。

すべては「小さな選択」から始まる

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟ってから何がどのように変わりましたか?」とよく聞かれるそうです。これに対して、李承憲氏は、悟りによって何かが急に大きく変わるのではないといいます。「悟りは選択です。どのように生きるのかを選択できる力が自分の中にあるという事実を認めることです」というのが、李承憲氏の答えです。

李承憲氏が悟って一番にしたのは、普段より早起きしたことです。朝早く公園に行き、出会った人々に体操を教えました。最初の生徒は脳梗塞の後遺症で身動きが不自由な人でしたが、その出会いが大きくなって、脳教育が世界に広まりました。

普段より少し早起きして何か世間に役立つようなことをするのは、とても小さな選択だし誰でもできることです。しかし、その小さな選択が李承憲氏の人生を変え、100万人以上の人々が脳教育を経験することになったのです。

多くの人びとが社会を憂い、地球を心配します。それよりはるかに多くの人々が自分の人生と社会への不満をこぼします。環境汚染のような地球規模の問題から経済的な不安や失業、教育破綻などの社会的な問題に至るまで多くのテーマが語られます。

しかし、たいていは「何かが間違っているけれど、社会全体の問題だから私が個人的にできることはない」という結論で終わります。

そしてとても自然に日常的・習慣的な自らの人生に戻ります。個人が担うには大きすぎる問題だということを口実に自分ができる「小さな選択」さえも無視してしまうのです。

でも、実際は、その小さな選択が集まって社会をヒーリングし、地球をヒーリングする「奇跡のようなこと」を作り出せます。すべては「私」の小さな選択から始まるのです。

脳教育の核心は「感覚の回復」にある

脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、脳教育は学ぶものではなく「体得」するものだと言います。それは、脳教育の教育方法の核心ポイントが、学習することでなく、「感覚の回復」にあるからです。

「感覚の回復」とは、律呂を取り戻すことです。律呂とは、人間だけでなく、すべての生命体がもともと備えている生命のリズム。李承憲氏によると、律呂があれば、健康で調和のとれた人生を送ることができます。

自分の中で律呂を回復し、天と地と人の調和がとれた人のことを、脳教育では「理想人間」と呼びます。理想人間は、自分だけでなく、生きているすべてのものを自分の体のように大切に思う大きな愛を抱いています。世のために生きるという高い志、大きな心意気を持ち、それを自分の人生を通じて実践します。

理想人間というと、おおげさに思うかもしれませんが、実はとても素朴で単純です。自分がなろうとした自分自身になることだからです。自分が選んだ人生の目的を達成することによって自らを実現し、究極的には自分を完成していくという過程が「魂の完成」です。

李承憲氏は「魂の完成を目的とする人生はあらゆる瞬間が自覚であり、悟りであり、なおかつ成長である」と言います。体を持って生まれたからには、魂を完成させる以外の選択の余地はありません。魂を完成させるために、自ら成長をさせるのが脳教育の目的です。